オーバーラップ仮説

缶コーヒーのUCCの広告で、「攻メノBLACK」なるものを見かけました。
黒い背景に精悍な顔つきの(a.k.a.睨む目つきの)正面を向いた男性と、やはり正面を向いた精悍な顔つきの(a.k.a.牙をちらつかせた)クロヒョウの頭部を配しており、男性とクロヒョウのイメージをオーバーラップさせる意図は明らかと思われます。
ひょっとしたら変身人間か。小田切さんなのか(ぱーぷーあい)


もとい、多少は真面目に考察してみますと、この広告は、自分の中の攻める心の象徴=黒豹をモチーフとしているのだとか。やはり、クロヒョウのイメージを写真の男性に被せることを意図しているのは間違いないわけです。(広告の訴求対象が人間である以上は、ここでは主人公は明らかに男性のほうでしょう。ヒョウへの広告だというなら別ですが。)


では、なぜそんなことをするのでしょう?
コーヒーの広告だけでなく、タバコの広告でも、オオカミやピューマなどのいわゆる猛獣のイメージを被せるものが見受けられます。上羽的には素直に「かっこいい」と思えるものです。
仮に、これらの猛獣が広告の受け手たる消費者にとって好ましくないものだとするなら、そんな広告を打つこと自体が商品のマーケティングとしておかしいはずです。(販売戦略として、あえてビジュアルで嫌悪感や恐怖を催させて消費者に購入を促すようなものは、ホラー映画くらいのものでしょう。)
特に嗜好品である飲料やタバコについて、マイナスのイメージを商品にリンクさせれば、かえって売れなくなるはずです。


ということは、こうした猛獣のビジュアルは、広告の受け手にとって好ましいイメージを有していると考えざるを得ません。UCCが「攻める心の象徴」だとしているように、少なくとも、広告の訴求対象の層(具体的には知りませんがたぶんサラリーマン層なのでしょう)にとっては、上羽ならずとも「かっこいい」アイコンなのであると考えられます。
こうした「かっこいい」イメージを帯びたクロヒョウという猛獣を、男性(人間)にオーバーラップさせる広告は、男性が「クロヒョウのような存在」であると暗喩していると感じます。すなわち、「かっこいい」クロヒョウのイメージを帯びた存在であるあなた(訴求対象のたぶん男性サラリーマン)にぴったりの飲料ですよ、この商品を消費するあなたはクロヒョウのように精悍でかっこいいですよ(だから買ってね)、と訴えているのだろうと思われます。


古代や中世において、権力者や戦士階層が、猛獣の毛皮など身体の一部、あるいは猛獣のモチーフを身に帯びていたわけですが、現代社会においても、猛獣というアイコンを、人間にオーバーラップさせる営みは行われているのです。これらはいずれも、猛獣のもつ属性を身につける、ということへの願望から生じる側面があると考えられます。
つまり、現代人にも、猛獣になりたいという願望が隠されている。それは現代人に限らず、どうやら人間に普遍的な願望なのではないか、ということがいえそうです。


そう考えますと、獣と人の属性を具有する獣人は、実は突飛な存在ではない。特に、人間サイドからのアプローチの場合には、人間の普遍的な欲望であるところの「人間による猛獣属性の具有」という主題に合致し、割と広く受け入れられる素地があると思われるのです。
ただし、これはあくまでもイメージ、属性、ないしは意味の具備までにとどまるもので、猛獣への肉体的な変化といったドラスティックなものは想定されてはいません。
このような、イメージの「オーバーラップ」により獣のもつ「精悍さ」や「かっこよさ」のみを具有しようという思想は、人間でありながら獣のもつ愛らしさだけを表現しようという「耳しっぽ主義」にも通ずるものがあると、上羽は思うのです。
要はいいとこ取りなわけですよね。上羽はせめてもこもこ毛皮が欲しいですけどね。


ま、実際にみんながコーヒー飲んでクロヒョウになられても困るわけですが。
いや、上羽的には全然アリですが。
……そんな馬鹿話を書いてみてもいいな。うん。


P.S.
でもクロヒョウっていったらやっぱ暁生くんだよね!