擬人と獣人の奇妙な関係

動物の擬人化というのは、獣人概念と関係性を有していて、一部重なる部分があります。

獣人というのは、上羽の解釈では、獣(動物)の要素を具有する人間であり、動物の擬人化というのは、動物を人間として表現するということであって、機能や外観は人間でありながら、その本質は動物である、という意味を具有しています。
特に、擬人化の表現の手法として、完全な人間として表現するのではなく、動物の要素を機能上、あるいは外観上含む表現による場合もあるので、こうした場合には、更に獣人概念とオーバーラップするものと思います。

ただし、獣人というのは、動物の要素を具有する人間であり、あくまでも動物を人間として表現したにすぎない擬人化とは本質的に異なる面があります。どんなに表現として似ていても、物語上、擬人化された動物は動物であって人間ではないということで、人間と動物の意味を重複して具有する獣人とは峻別されるべきものです。

つまり、獣人の物語は、人間であり動物である中途半端な存在である獣人の視点から語られ得るのに対して、擬人化された動物(獣人と対比して「擬人」とでも呼びましょう。)の物語は、あくまでもその存在が動物だとして展開されるにすぎないのです。

擬人がどんなに人間っぽくても、人と会話をしたとしても、あくまで動物。人間のふりをしていても人間としては扱われないわけです。それが獣人であれば、人間であり、動物である存在として、人間社会の物語の中で語られ得るのですが。
ですから、擬人化っぽくても、人間との関係において、純粋に動物ではない存在としての物語を有する場合、それは単なる擬人ではないというのが上羽の感覚です。

ありがちな擬人の表現パターンとしては、動物視点では擬人化されていて、人間視点ではただの動物として描かれるというものだと思います。

で、なんでこんな上羽世界な妄想を久しぶりに展開しちゃったかというと、うなぎを擬人化した動画なるものが世の物議を醸していたからで、動画そのものは見てないので獣人的な要素があるのかどうかはわかりません。ニュース記事を見る限りただの擬人化っぽいですが。

ていうか、うなぎにんげんはちょっと見たくないですが。
ていうか、うなぎにんげんを獣人とはいわないですよね。いうなら人魚ですよね。

とらにんげんならなんでもウェルカムなんで、ぜひ擬人でいいんで養っちゃうんで上羽のとこに来てくださ(違