つきもの、つけもの、つけけもの・第弐夜

 先日は、憑きものというのがなんだか色々ありますよね、という話をしようと思って見事脱線し力尽きました。
 簡単にまとめますと、憑きものといいますのは何か霊だとか魂だとかいう非物質概念がヒトに取り憑くわけでして、取り憑く霊だの魂だのの主体としては、動物ということが結構あるようなのです。無機物にまで魂が宿る東洋アニミズムの世界と、霊魂とヒトとを結び付ける西洋基督教的世界とではひょっとすると若干捉え方が異なるのではなかろうかとも思いますが。(英語animal(動物)の語源はアニミズムの元ともなっている羅語anima(魂)であります。animaは、「息吹」「生命力」といったニュアンスをも持っており、生命力にあふれ、息をするものがanimalというわけです。)
 なお、ネイティヴ・アメリカンなどにおきますトーテム崇拝では、人間は祖霊たるトーテム動物(植物の場合もあります)の子孫と考えられているのでして、トーテム動物にはコヨーテなどがあります。翻ってユーラシア大陸におきましても、蒙古帝国のチンギス・ハーンの祖先「蒼き狼と生白き雌鹿」というのもトーテム動物といえます。これらの場合は、取り憑く以前に、体に動物の血が流れているわけですね。
 ちなみに我が国の古典、日本書紀古事記でも同様ですが)では、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと、いわゆる山幸彦)が、海神の娘、豊玉姫と結婚しますが、豊玉姫は子(彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと))を産むときに、本来の姿たるワニの姿になっていたとされます。ワニがいわゆるワニかどうかは定かではありませんが、我が国にもトーテム信仰的なものがあったことが伺われます。
 さて、つきものについてまとめたところで、次につけものと行きたいところですが、また長くなってきましたので今宵はこの辺りで。