鼻づら主義者と耳しっぽ主義者…越えられない壁なのか?(11)

本論 〜 鼻づら主義と耳しっぽ主義の分析

第四章 で、鼻づらや耳しっぽは何を表しているの? 〜 象徴の問題

 その意味でいえば、マズルもまた象徴といえる。マズルを有することは、通常はほぼ完全な動物的頭部を有することである。動物の頭部を有するという表現は、そのキャラクターが動物の属性を備えていることを明確に示している。言葉を発する器官である口吻部がヒトのものでないことは、人間とのコミュニケーションの断絶をほのめかす。牙、そして場合により爪は、そのキャラクターが場合により凶暴な攻撃性を有することを示唆している。獣の瞳も、ヒトの間で通用する非音声言語(アイ・コンタクト)を拒絶する。これらは、そのキャラクターが、ヒトならざる獣であり、ヒトと相いれぬ野性を具有することを明白にしている。


 逆に、耳しっぽは野性を示すパーツとしては機能しにくい。もちろん、耳やしっぽは動物に特徴的なパーツではある。しかし、耳やしっぽ単独では、野性を示すツールとしては利用し難い。耳をぴくつかせ、しっぽを振ることはできるが、それは通常、イヌやネコの「かわいらしい」仕草の範疇である。
 また、動物性を部分的に具有することは、読み手に違和感をもたらす。現実世界においてヒトの顔を見たとき、獣の耳がついていることを想像する者はいないだろう。しっぽも同様である。耳しっぽは、人間キャラクターの標準からすれば、異物にほかならない。そして、耳しっぽキャラが標準的な人間キャラクターに近いからこそ、耳やしっぽは異物性を強めるのである。全身が獣毛に覆われた半人半獣になると、存在そのものが違和感をもたらすのであり、耳やしっぽやマズルそのものは異物とはみなされない。
 耳やしっぽのもたらす違和感は、人間との断絶ではない。多くの場合、耳しっぽ表現に用いられる耳やしっぽは食肉目のそれである。さらにいえばイヌやネコのそれである(リアリティを著しく欠くとしても)。それは人間にとってありふれた家畜のパーツであり、愛すべきペットの一部である。ペットと人間との関係は、ことによっては人間同士の関係よりも深く、家族以上である。言語的関係が築きにくいペット動物との間では、スキンシップが図られる。耳しっぽは、人間とのコミュニケーションの断絶とは逆に、スキンシップにまで至る濃厚なコミュニケーションを暗示する。耳しっぽキャラは、最初から「愛されるために」表現されている。


 第四章まとめ:尾を振るイヌは打たれない。尾を振る耳しっぽキャラは愛される。