獣人と人間の間

この前、動物キャラクターと獣人は何が違うのか…といつも思い悩んでいる話を書きました。
結論のない話なのですが、動物キャラクターと獣人とを分ける「何か」があるんじゃないか、そう思うわけです。


上羽は、獣人とは、獣であり人であるもの、という考えを持っていて、「獣人の定義」と呼んでいます。
外観だけでなく、コンテクスト(物語の文脈)的にも、獣であり、人でなければならないというのが上羽の説です。
極端な話、物語の中で、「動物」だとされているキャラクターは、どんなに魅惑的な獣人的要素を備えていても、獣人ではない。
でも、それはどうしてそういえるのか、というところでいつもいつも堂々巡りをしているわけですが、ここで仮に、「獣人の定義」の第二項のアイデアを提示してみます。


「獣人は、人間との関連性の中において、獣人である」


獣人は、獣であり人である。逆に言うと、純粋な獣でもなく純粋な人でもないわけです。獣の要素と人の要素とを合わせ持っているのが獣人。では、その獣人が有する要素が、「人の要素」であったり、「(人でない)獣の要素」であったりすることを物語的に確立させるための論理構造は…と考えていくと、やはり、それは、人との比較によるのではないか。
物語に人が登場し、獣人との対比が提示されることによって、獣人の、人との違いを際立たせ、獣人性を示すことになるのではないか。獣人が人と関わりを持つ、あるいは、物語の読み手が単に対比を読み取ることでも構わないと思いますが、獣人が持つ「人に非ざる部分」を否応なしに突きつけられる。それこそが獣人の物語なんだろうと、思ったり思わなかったり。


だから、基本的には、人間が登場しない物語では、動物キャラクターは獣人ではない。
人間が登場する物語であっても、人間と動物という関係性において語られるキャラクターは、基本的には動物キャラクターであって獣人ではない。


ただし、これらの線引きは非常に曖昧なものであって、獣人性がまったくゼロなのかというと、そうではないかもしれない。
たとえば、人間が登場しないが、人間の代わりに獣人が存在する社会をシミュレートしたSFとか考えてみると、それはやはり獣人ものかもしれない。それは、物語に人間そのものは出てこないけれども、人間社会が登場するから、と考えられます。また、人間が完全に「動物」とみなしている獣人が存在するとして、その「動物」とされている獣人が、人間との関係を考えていく…といった物語は、十分に「獣人もの」としての性質を備えているように思われます。これは、人間サイドから見ると動物にすぎないが、獣人サイドからみると、実は動物の枠を超えた関係性を人間との間にもっているから、という整理が可能ですが、こうした考えをいろいろと一般的に敷衍して定義に反映させなければ、きちんとした定義ができているとはいえない。
…え? 動物だろうが人間だろうが、絵づらが「獣人」ならいいじゃないかって? ごもっとも…。


そういう意味では、まだまだこれらの理論は未完の理論ということになります。
…って、獣人理論を完成させて、いったいどうだというのか…ま、いいか。