獣人はストレスである(獣人ストレス説)

獣人ストレス説(じうじん−すとれす−せつ)


獣人であることはストレスを伴う。すなわち、物語における獣人とは、人間が抱えるストレスの寓意であるという説。


獣人であることのストレスは、第一に、人(あるいは動物)ならざる異類であるということに起因するものです。
たとえば、変身型獣人では、人間社会にありながら公開できない秘密を抱えねばなりません。
一方、非変身型獣人ならそういうストレスはないか、というと、差別や偏見と戦わなければならないこともままあります。(Humanize Sequel、獣人探偵局ノハール、ダイヤモンドを噛み砕け!などを参照。)
異類であることは、個人の抱える特殊性、ないし個性の象徴であり、人間社会においてその個性に負の価値が与えられている場合は、社会生活上その個性を秘匿するなどの行為が推奨されることとなります。たとえば、獣人マニアであることを公言すれば、間違いなく「変わっている」などの負のレッテルを張られることになります。
これと獣人であることの秘密とではレベルが違うかもしれませんが、獣人を、社会的に肯定されない個性の象徴として捉えることは可能であるように思われます。


第二に、獣人の特徴・特性から来るストレスです。
たとえば、獣人は、人の理性をもって、本能や衝動性に代表される己の獣性と格闘しなければなりません。理性と本能のぶつかり合い、あるいは、社会通念や倫理規範、人間性と、獣性との相克は、獣人物語における主人公の乗り越えるべき障害として描かれることが多いものです。(たとえば、動物の本能との戦いが良く描かれている例として、アニモーフ。)
現実社会においても、理性と欲求の葛藤や、倫理規範と個人との衝突は常に生じ得るものであり、それを象徴的に描き出す手法として獣人物語が利用されるとしても驚くには当たりません。


第三に、獣人が異類であることと密接に関連しますが、社会的少数派であるということから来るストレスです。
(獣人が一般に多数存在する物語世界を除いて)極論すれば、獣人であることはひどく孤独なものかもしれません。
秘密をだれにも打ち明けられないまま抱え込む、仲間がいない孤独感に打ち苛まれる、といったストレスが挙げられます。(これをコミカルに描いたものとして、ひみつの犬神くん。)
これは、人間社会におけるコミュニケーションの阻害に伴うストレスの象徴であると言い換えてもいいかもしれません。


人間は、社会においてこうしたストレスを抱える一方で、自己表現の欲求も抱えているものであり、仮にたとえ社会的サンクション(罰)を受けるとしても、自己表現したいという気持ちを抑えられないこともあるでしょう。
そして、物語における獣人には、驚異的な肉体能力など、既成観念を打ち破る超人的な能力が与えられていることも多いものです。
これは、様々な社会的ストレスを抱える現代人にとって、常識を超えた手段でストレスを解消したいという思いが込められているのかもしれません。


もちろん、これらのストレスが一部あるいはまったくない獣人物語も存在しえます。
そのような物語では、獣人の特性を前面に出した前向きな物語展開になることでしょう。
ストレス・フリーな獣人というのは、一見して明るく楽しいようにも思われますが、一方で獣人物語としての「面白さ」ないし「価値」が一部失われるように思うのは、上羽だけでしょうか。